こんばんは🌃律歌です
今夜は私のここ数年感じていることをお話ししていこうと思います
突然ですが、皆さんは相談をされたり助言を求められたことはありませんか?
悩んでいるのだけどどう思う?こんなことがあるんだ…などなど
頼っている、相談している、と相手は思っていなくてもついつい思いついた考えで「こうしてみては?」
とアドバイスした経験があるのではないでしょうか
かく言う私も自然と押し付けない範囲で自分の考えや助言になればと、おせっかいをやいています
誰しもが「これはどうだろうか」と提案して相手を助けたことがあるでしょう
それが好転しなかったとしても、です
うまく相手がそのアドバイスを活用できなくても「ありがとう」を受けたことはあるのではないでしょうか
私は性格なのか、持ち前の話術なのか、人からアドバイスを求められるような話を聞くことが多いです
「そうだね、納得できた」
「そう言う考えいいね」
「試してみるね」
など、私のアドバイスに感謝して目の前の悩みが解消した友人を見ていて思ったことがあります
私は自分のことになると、アドバイスのような考えや行動が起こせていないのではないか
人の悩みを聞いて、現状を把握して、問題を分析し、最良であろう解決策を見出す
これができる人は人生がスイスイと進んでいるかと言うとそうではないようです
なぜか自分の問題になると、私情のようなものが絡んだり、主観となるからなのか、うまくその分析と解析、
推察能力がひどく鈍るのを感じます
人の悩みには応えられるのに、自分の問題にはてんで振り回され、悶々としてしまう
意外とこれが多いと思うからこそ、私は自分はまだまだ未熟なのだよと伝えています
自分の悩みが見えないのでしょうか
そうではありません
主観、主体となることで、当事者となることで身動きが悪くなるように思えます
多角的にものを見ると言う視野を広げる行為が、自分の周囲を分析することが苦手な人が多いと思います
言われれば納得するし、目から鱗のようにスッキリできる
中には解っているけどできないんだ、なんて悩みも聞きます
文法にもあるように、一人称と三人称だと感じ方が変わりませんか?
私は誰かの相談に乗る時、相手を盤面の上から見て攻略を考える棋士のような感覚なのかもしれないと感じています
将棋やチェスの時、はたまた戦国時代の将軍、軍師が考える時、布陣を広げ、盤面を見て、
戦況を考えますよね
それと似ている気がします
兵士はその戦場で戦況を読んで、行動などできません
できるのは一部の英傑と呼ばれる存在でしょう
実際は軍師の采配のままに闘志を持って突き進んでいるでしょう
そして、勝利した時その策が素晴らしいと賞賛するでしょう
私はこれを相談相手と悩みの種をかけています
相談相手はチェスの駒
悩みの原因は現在の盤面の戦況がよくない、詰まっている状態
上から見ればどこに突破口があるか見えるものです
これはどう言うことなのでしょう
冷静に広い視野で多角的に考えられるからだと私は思います
現場の人間にしかわからないものがあるように、高みから見て先を読んでいく先見の明と言うものも存在します
これに気づいた時、私は自分を第三者視点で見れればと考えるようになりました
自分が悩んでいる時、主観を抜くのです
かなり難しいことですが、似たようなケースをもって相談してきた友人を思い出し、その時の自分の対処案を考えるのです
ある種、感情を抜くと言うスタイルをとっていると思います
人は感情に支配されやすいです
感情を入れない時が静かな考えで、研ぎ澄ました感性で答えを出せるのでしょう
イライラしている時に電卓を叩いても、計算ミスをする時が多いのと似ているかもしれません
針に糸を通す時も、心の水面が静かな方が成功するし、その時意識は針にいくはずです
自分の感じてることなんて鑑みることはありませんよね
人は交流なくしては己が見えないものです
人のふり見て我がふり直せと言いますがまさにその通りです
他人とは自分のパターン違いの存在です
異なる選択、行動、思考の自分と見てみたらどうでしょう
何故そんな行動するのだろう、私ならこうしたほうがいいのに
そう思うことはありませんか
その考えが自分の行いを改めることに通じると思えてなりません
猿真似をしろとか、人を実験台にしろと言うことではありません
思考を多方向から見れるようにする
このことが、あなたの窮地を救うかもしれないですよ
そんな思考の整理と、運び方のアドバイスでした
そうは言っても、考えすぎず、思い悩みすぎず
いつだって肩の力を抜けるように深呼吸を忘れないでくださいね
今日も明日もゆるりと参りましょう

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