昭和夫婦?令和夫婦?パートナーとの在り方

パートナーと2人で暮らしている中での関係について パートナー

こんにちは(^^)りつかです。
みなさんは、生活を共にしている方はいらっしゃいますか?
私の場合は同性パートナーはるかがおります。
今日は私たち2人の仕事による関係の在り方についてお話しします。

夫婦とはなんでしょう?
一緒に暮らして、共に支え合い、協力し、人生を共にする存在。
つまり、配偶者や伴侶…動物で言うなら「つがい」ですね。
私とはるかは割と昭和夫婦的なスタイルをとっていました。

昭和夫婦とは?
昭和夫婦のスタイルとはなんでしょう。
私の中の認識ではこうです。
夫:外に出て働いてくる存在、家を外側から守る存在
妻:家の中で家事をこなす存在、家を内側から守る存在

どうでしょう、なんとなくイメージは湧きますか?
私の両親はこの典型でした。
父がサラリーマンで外に働きに出る。
母が家で専業主婦となり、子を育て、家事全般をこなす。
オーソドックスな古典的夫婦でした。

私とはるかも付き合いたて、同棲を始めた頃に話し合いをしました。
どうやって2人の生活を守っていくか、と言うことでした。
その時はるかは「家を守ってほしい」と私に告げたのです。
私も当時は仕事を辞めたばかりで、転職活動もしていましたがはるかが頑張るならと、
専業主婦になること、つまりは家事担当になることを了承しました。
ここで、2人の関係は昭和夫婦のように確立したのです。

私は毎朝、食事からお弁当。掃除洗濯、買い物。
家事にまつわる全てを担当しました。
はるかは早番もあれば夜勤もある中、毎日黙々と仕事に行く日々。

一見して、これで平和でしょう。めでたし、と…なりません😅
女性の稼ぎとはたかが知れていました。
実際にはるかの稼ぎは20万いくか、いかないか。
足りない部分は私の貯蓄を切り崩して賄っていました。

昭和夫婦が成立するのは、働き手が男性であること。
働き手が相応の収入を確保できる職種、立場にあること。
これが経済的に守られていないと厳しいのです。

実際に平成、令和と時代は巡り。
夫婦のスタイルは変わりましたね。
「夫婦共働き」なんて言葉がごく一般的になりました。
子供を預ける保育所や、家政婦さん、それらに関するもの。
素晴らしい発展を遂げたと思います。
昭和では珍しかった「鍵っ子」と呼ばれる
自分の家の鍵を渡されている子供も少なくないのでは?

私とはるかに子供はいません。
ですが、低所得で2人暮らし。しかも国からの援助や制度は受けられません。
私たちは配偶者にならないのです。
異性間夫婦が受けられる恩恵、制度、保証が一切ないのです。
言ってしまえば、他人の女友達のシェアハウスなのです。
これでは、いくらはるかが頑張っても生活は苦しい一方でした。
はるかには税制面における配偶者控除も何もなかったのですから。

私は同棲を始めて2年目で決意します。
「私も家にいながら出来る仕事を探そう!
携帯で検索する日々が始まりました。
内職、在宅勤務、せどり、ハンドメイド、小説書き…
得意を活かそうとしたり、家でできるならと挑戦したり。
でも当時はそれほど意識して働こうとしておらず、
どれも頓挫してしまいました。

同棲3年目にして、私は知人の紹介から「トレーダー」
と言う道を目指すことにしました。
胡散臭い、詐欺じゃないか、不安は募りました。
はるかと相談して、実際にトレーダーの方と連絡を取り、
私は「デイトレーダー」になるべく、勉強を始めたのです。
当時でさえも、黒い噂のようなものは絶えなくて、
私はトレーダーを目指している、とは誰にも言いませんでした。

何より、私自身がきちんとトレーダーとしてスキルを
身につけて、結果を出すまでは公表したくなかったのです。

その間に、はるかは2回転職をしました。
より良い仕事を、より多くの収入を、より良い生活を
夜勤の仕事を辞め、飲食業に就きましたが長続きせず。
今は建築業に携わり、毎日元気に働いています。

はるかが転職を、私がトレーダーを目指している時。
この間も2人にすれ違いがないように。これだけは約束。
一緒にご飯を食べて、お風呂に入り、共に眠る。

夜勤を辞めたことにより、生活が反転すること、
お互いのすれ違い時間は無くなりました。
はるかは早寝早起きを心がけるようになり、
私も夜勤に合わせていた生活を、本来の早朝スタイルに
戻したのです。

そして、現在。
りつかは「デイトレーダー」として在宅勤務。
はるかは「現場管理」として会社勤務。

それぞれが己の得意フィールドで活躍できるようになりました。
生活はまだ細く、慎ましいものではあります。
でも、お互いに心は晴れやかになりました。
私はトレーダーをしていることで、収入を得るようになり、
生活費を賄えるようになりました。
はるかは正社員となり、仕事にやりがいを持てました。

これが令和夫婦のスタイルとは言いません。
夫婦が、パートナー同士が協力して家計を、生活を、
2人の人生を支えていくのが今の時代に
求められているのではないでしょうか。
どちらかに全部任せきり、ではなく。
お互いの得意分野を活かして活躍できる場を持つ。
人間らしく、幸福に、充足した日々を送る
とは、
そのようなことではないでしょうか?

私は就労するのに疾患があり、
毎日会社に出勤して、と言うのが難しかったことがあります。
就職しても長く続きませんでした。
それでも転職しては転職しては、と繋いでいました。
今はとても穏やかにトレーダーをしています。
私の決意を応援して、見守り続けてくれたはるかには
感謝しかありません。

損失が大きい時も、知識が至らなくて苦戦していた時も、
はるかは頑張っているよ、大丈夫、と支え続けてくれたのです。

それに応えるように、私は開花しました。
損失が利益になり、毎月をプラスに転じるようになりました。
はるかはその間も生活費、ライフラインを守り続けてくれました。
ひとえに、はるかが固定費であるライフラインをキープしていた。
それが私にとって、とても心が軽かったのです。
家賃が、光熱費が、と焦ってトレードの質を下げてしまう。
そんなこともなく、じっくりゆっくり、
丁寧にトレードの腕を磨いていけたのです。

はるかは夜勤から、昼間の勤務となり。
休みの日を寝て潰すことなく、有効活用できるようになりました。
家事も協力的になって、ゴミ出しやお風呂掃除など、
分担してこなすようにしています。

メインの家事がりつかであることは変わりません。
家に24時間いる私にとって、部屋の掃除や片付け、
料理、洗濯は一切の苦でなかったのです。
休みの日には、はるかが料理や洗濯をしてくれる。
こうなるようになって、2人で支え合って生きてると、
幸せだとしみじみ感じます。

昭和夫婦が不幸とは思いません。
そのスタイルが難しい時代に変わっている、
とだけは言えるでしょう。
いまだに「夫に養ってもらうんだ」と言う声は一定数あります。
私たちにそんな依存のような発想はありません。
「大黒柱になりたい」と言うはるか
「私がFIREさせる」と言うりつか

2人でそれぞれの目標で毎日を精一杯頑張れる。
ギスギスした喧嘩や嫌味もなく。

私はこんな夫婦になりたかったんだ。

両親の毒舌や、嫌味、言い合いを見て育ったからこそ、
曇っていた眼が澄み渡りました。
私が求めていたのは、生涯の伴侶。
人生を共に歩いてくれる相手。

「わたしだけのひと」

そう言い続けていました。
はるかはそれに応えてくれました。
私以外と添い遂げない。
束縛でも依存でもない、共生と言う形。
望んでいた2人になれたのです。

まだまだ、目指しているところは遥か遠く。
高みには至っておりません。
ですが、令和夫婦の私たちはあらゆるハンディを超えて、
経済的にも、心理的にも、幸福に生きる!!
それを胸に今日も手と手を取り合って頑張っています。

みなさんは、どうでしょう。
夫婦の形、パートナーとの関係。
現状で満たされていますか?
私が思うのは、夫婦のスタイルは変化するもの。
今、求められるのはきっと、

「自立した関係性を持つ、独立性のある夫婦」

だと思います。
お互いを半身と思うなら、お互い頑張る。
フィールドは自由でいい。
右手でお箸を持つなら、左手でお椀を持つ。
そんな関係性が私は素敵だと思います(^^)

ここまでご覧くださいまして、ありがとうございました。
ゆるり、凛として生きる。
ゆるりつ生活でした。

2025/4/7

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